「私の名馬」シリーズの第2回。
今回、アンケートにお答えいただいたのは埼玉県にお住まいの27歳のケンさん。
印象に残っている馬として挙げてくださったのが、希代の逃げ馬サイレンススズカです。
というわけで、第1回目の今回は大阪市にお住まいのゴリラ先輩にご登場いただきました。
希代の逃げ馬サイレンススズカ
ケンさんの簡単なプロフィールはこちら。
お名前 | ケン |
年齢 | 27歳 |
ご職業 | 自営業 |
お住まいの地域 | 埼玉 |
競馬歴 | 約10年 |
好きな馬 | サイレンススズカ |
思い出のレース | 98年の金鯱賞、毎日王冠、天皇賞(秋) |
サイレンススズカ 血統&プロフィール
出典:netkeiba.com
- 生年月日 1994年5月1日
- 調教師 橋田満 (栗東)
- 馬主 永井啓弍
- 生産者 稲原牧場
- 産地 平取町
- 獲得賞金 4億5,598万円 (中央)
- 通算成績 16戦9勝 [9-1-0-6]
- 主な勝鞍 98’宝塚記念(G1)
名馬の生産牧場といえば、だいたい社台ファームかノーザンファームですが、サイレススズカは稲原牧場。
同牧場の繁殖牝馬として導入されたワキアは初年度にダンスオブライフが種付けされ、ワキアオブスズカが誕生します。
で、翌年はバイアモンと交配しますが受胎せず、次の発情が来た際の相手として考えられたのが稲原牧場がシンジゲートの1株を持っているトニービンでした。
で、ほどなくして発情期を迎えたワキアを連れてトニービンが繋養されている社台スタリオンステーションに向かったわけですが、その日はトニービンに種付けの空きがない状態…。
その際に社台SSのスタッフの方から「サンデーサイレンスなら今日可能」と打診され、発情期を逃すと空胎になる恐れもあったので、「サンデーサイレンスなら悲観することもないか」と交配が行われたといいます。
サイレンススズカ 金鯱賞・宝塚記念・毎日王冠の圧勝
ケンさんが競馬を始められたころにはサイレンスズカはすでにいなかったわけですが、どこで知られたんですか?
2007年にディープインパクトの主戦騎手だった武豊騎手が雑誌インタビューでサイレンススズカについて触れていたのがきっかけでした。
ディープインパクトといえばその当時まさに敵なしの大活躍で、最強馬の名を欲しいままにしていました。
そんな馬にのっている武騎手がべた褒めしているサイレンススズカとはどんな馬なんだろうと思い、過去の映像をみて衝撃を受けたんです。
- サイレンススズカ
- エルコンドルパサー
- グラスワンダー
この3頭が顔をそろえ、まさにG1のようなメンツになったレースですが、このメンバーの東京1800mでもサイレンススズカは果敢に逃げ、そのまま他馬に影を踏まさずにゴールしてしまいます。
このレースも凄かったですよね。
逃げ馬はもちろん見たことがありますが、逃げ馬の範疇をはるかに超えた大逃げも大逃げ、スタートと同時に数馬身差をつけるとそのままぐんぐん加速して大差で一着。
自分の知識の中にある大逃げの馬といえばツインターボのような最後にはスタミナが切れて差されてしまう馬しかいなかったので、こんな馬がいていいのか!と圧倒されました。
悲しみの天皇賞(秋)
このレースはあまり何も言えないというか、返す返すも残念な感じですよね…。
まとめ
たぶん多くの人が思ったと思いますが、あの天皇秋でサイレンススズカがあのまま逃げ切っていたらどんなタイムを叩き出していたんだろって。
あと、種牡馬になっていたら、どんな産駒を生み出していたんだろうとか。
稀に見るスピード馬ゆえの悲劇ともいえるかもしれませんが、「もし、サイレンスズカの無事だったら」とは今でもたまに思ってしまいますよね。